なぜタイ語を学ぶのか?
blog No.001 投稿日:2020.04.29
この記事の内容
・タイの一歩奥へ
・印象深いイサーンの旅
・タイ語のすすめ
・今日のことわざ
なぜタイ語を学ぶのか?
タイの一歩奥へ
「タイ語? いやいや、簡単な英語で十分用が足りたよ」という方も多いと思います。たしかに、バンコクや観光地のホテル、ショッピングセンター、レストランなど、外国人の多い場所では英語もかなり、むしろ日本以上に通じます。
ところがタイの何かに惹かれて ――タイには魅力的なものがいっぱいあります―― 一歩足を踏み入れれば、そこはもう、ほぼタイ語オンリーの世界です。道案内の看板、食堂のメニュー、商店やホテルのネオンサイン・・・読めません。英語の通じない田舎へ行くほどみんな親切なので、何とかはなるけれど、限界があります。他の国も同様でしょうが、タイだと限界点にいち早く達してしまう気がします。
私がタイへ行き始めたころ、バンコクのタクシーはすべて運賃交渉制でした。日本と違って買い物の時には値切るものだと、ガイドブックには書いてありました(ネットなんてありません)。英語よりタイ語で交渉したほうが値切りやすいとも聞きました。
そんな理由でタイ語との格闘を始め、値段交渉から食堂や屋台での注文などが何とかできるようになると、タイ語で話しかけられることが増えました。とても会話にはなりませんが、タイ語を片言でも話す、あるいは話そうとしている外国人に対して、タイの人たちが思わず見せる「ゆるい」表情、いたずらっぽい好奇心に輝く瞳に、ある種の快感を感じるようになりました。あるいは、「ここにいていいんだ」という安心感かもしれません。そんなふうな偶然の出会いが楽しい思い出になり、また次もタイへ足へ運ぶようになりました。
印象深いイサーンの旅
なかでも、タイ語を始めたころに行ったイサーン一周の旅はとても印象的で、タイ語学習の強いモチベーションになりました。イサーンとはタイの東北部のことで、これといった観光地は少なく、外国人観光客もあまりやって来ません。タイ語オンリーの世界が広がっています。
鉄道の駅があるコーンケンという町に着きました。イサーンでは大きな町で、ここの国立博物館には、近くの遺跡で発見された、5000年も前の「バーンチエン土器」が展示されていると知り、それを見るため1泊するつもりでした。ある安宿に荷を下ろし、そこの食堂で夕食を食べていると、宿のオーナーや従業員の兄ちゃんが話しかけてくれ、客のおじさんも話に入ってきました。オーナー氏は英語が堪能でしたが、それ以外の人たちとは片言のタイ語と英語に、タイ英辞書を引きながら、閉店時間の夜11時まで話し込んでしまいました。タイ語を話す外国人はめったに来ないとのことで、もの珍しがられたようです。
今でもこの時教わったタイ語を覚えています。客のおじさんは「旅行中、ขโมย [khàʔmooi/カモーイ] には気をつけなさい」と言ってくれるのですが、何のこと?という顔をしていると、辞書を引いて指さしてくれました。――theif、泥棒のことでした。旅好きのオーナー氏とは「〇〇に行った、○○にも行った」と話していると、そういう時は、เคย [khəəi/クーイ] という動詞をつけるんだ、そうすると○○に行ったことがあるという表現になる、と教わりました。
話す人みんなが先生みたいなものです。心強いかぎりです。
翌日、オーナー氏がわざわざ電話で問い合わせ、国立博物館の休館日だと知らせてくれました。明日は開くというのでもう1泊することにして、市場に散歩へ出かけ、午後は町はずれの大きな池に行ってみました。乾季の終わりで池の水はほとんど干上がっていましたが、風が気持ちよさそうな食堂がありました。ジュースを飲んでボーとしていると、先輩格の店員と若いボーイが同じテーブルに腰かけて話しかけてきます。TVドラマの「おしん」が好きだという二人は、日本へ行きたいけれどいくらかかるのか、物価は高いのか、女性はきれいか、などといろんなことを聞いてきます。いつの間にか、サラダとお菓子を持ってきてくれ、それをつまみながら話し込むうちに、日が傾いていました。
タイ語のすすめ
このイサーンの旅では、ほかにも印象深い出会いがたくさんありました。そしてこれ以後も、たくさんの楽しい出会いを経験することができました。ほんの少しでもタイ語が話せたおかげだと思っています。そんな体験談を、このブログでおいおい紹介していきます。
タイと、少し深く付き合ってみたいとお考えの方には、ぜひともタイ語の学習をお勧めしたいです。片言でも話せれば、きっといいことがあります!
今日のことわざ
ทำดีได้ดี ทำชั่วได้ชั่ว
[tham dii dâi dii, tham chûa dâi chûa/タム ディー ダイ ディー、タム チュア ダイ チュア]
日本語訳:善いことをすればよい報い、悪いことをすれば悪い報い(がある)。
日本でも因果応報といいますね。仏教の国、タイらしい価値観を表しています。そういえば因果応報も仏教用語でした。タイと日本は仏教でつながっているのです。