タイへの道のり――格安航空券からバンコク発券へ
blog No.007 投稿日:2020.05.05/再編集:2020.05.31
この記事の内容
タイへ旅行するとき、まず航空券の確保から始まります。普通の勤め人が、年末年始やお盆の繁忙期に、希望通りの日程でしかもリーズナブルな価格で入手するのは、なかなか手間がかかります。この半世紀ほどの航空券を取り巻く情勢の変化に触れながら、私の航空券遍歴を紹介します。
・航空券さえあれば何とかなる
・格安航空券の登場
・市民権を得た格安航空券
・バンコク発券という「裏ワザ」
・バンコク発券はメリットたっぷり
・旅行会社の倒産。なんと2度も
・航空券はネット販売の時代へ
・今日のことわざ
※以下の文中にはタイ文字が使われていますが、読めなくても全く問題なく理解できます。
タイへの道のり――格安航空券からバンコク発券へ
航空券さえあれば何とかなる
私がタイへ行き始めた1980年代の初め、海外旅行といえば旅行会社主催のパックツアーに参加するのが「当たり前」でした。個人で手配して自由に旅行するという、いわゆるFIT(foreign independent travel)は一般的ではなく、むしろ高くついてしまいました。FITに関する情報も圧倒的にありませんでした。
そうは言っても、大体のことは行き当たりばったりで何とかなると思い込んで旅に出発しました。日本国内でもそうやって十分楽しく旅行していました。鉄道やバスはもちろん、ホテルだって駅前を歩けば必ず泊まれるところはありました。ただし航空券だけは、あらかじめ予約して購入しないとどうしようもありません。しかもたいていの場合、旅行費用で最も高価なものが航空券になります。今日は、私がどうやって航空券を入手してきたかを振り返りつつ、航空券のしくみや海外旅行をめぐる社会の変化にも触れてみたいと思います。
格安航空券の登場
最初は、つてを頼って某企業内の旅行会社に航空券を手配してもらいました。1980年代前半のこと、バンコク往復のキャセイパシフィック航空が11万円ほどしました。一方で、ヨーロッパ・インドをはじめ海外に出かける若者のバックパッカーが増え始めている時期でもあり(『地球の歩き方』の刊行が1979年)、彼らが手にする「格安航空券」なるものが出回っていました。
国際線の航空券は、ほとんどの航空会社が加盟するIATA(International Air Transport Association、国際航空運送協会)が定める価格カルテルに基づいて販売されるため、個人で購入すると非常に高価なものでした。そこで、パックツアー用の団体割引券や売れ残りの座席を、旅行代理店が架空のツアーをこしらえてこそっと個人向けに売るという「格安航空券」が登場しました。いわばグレーゾーンの商品で、当時の日本国政府当局(通産省)も否定的だったように思いますが、航空会社としても空気を運ぶより儲かるわけで、格安航空券でもちゃんと飛行機に乗せてもらえました。
海外に安く行きたい若者の需要に引っ張られる形で、格安航空券市場は成長していきました。1985年、大学生協のプレーガイドで、ヨーロッパ行きの格安航空券を初めて買いました。シンガポール航空の南回りで、冬のオフシーズンにもかかわらず25万円以上もしましたが、IATAの公示運賃70~80万円に比べれば「格安」でした。グレーな航空券が日本の、とくに若者のFITを推し進めてくれたわけです。
市民権を得た格安航空券
そのころキャンパスのあちこちで、名古屋に新しくできた格安航空券販売会社のチラシを目にするようになりました。今や海外旅行取扱高で国内一、二を争うH○Sの前身の会社です。何年か前のTV番組で知ったのですが、創業当初は、航空会社にお願いして余ったチケットを売ってもらっていたそうです。事業が軌道に乗ったころだったのしょう、名古屋に出店する運びになったようです。ちょうどタイ旅行を計画していた私は、インド行きを予定していた友人と、名古屋駅近くの古ぼけたビルの一室にあった会社を訪ねてみました。いかにも手作りの会社という感じで、数名いた社員は皆さん若く、旅慣れている様子でした。他に来客もなかったので、インド式のチャイを出してもらい、インドやタイの旅の話が弾んだのを覚えています。
そこで購入したタイ国際航空のチケットを握りしめ、タイ東北部を中心に3週間ほど旅行してきました。(以前 blog No.001 で紹介した旅行です。)
まもなくやってきたバブルの時代、日本人の海外旅行熱が高まるなかで、格安航空券はしだいに市民権を獲得しました。同じころ、米国の圧力を受けた日本国政府は経済の規制緩和を推進し、航空運賃の自由化を含む航空行政全般にわたる規制も緩和、撤廃されました。格安航空券が「公認」されたわけです。この動きに乗ってH○Sも急成長を遂げ、いつの間にか名古屋の繁華街に路面店を開き、店舗数もどんどん増えていきました。私もタイ東北部の旅行以来、10年ほどお世話になりました。しかし残念ながら、会社の成長とともに店員さんの応対もビジネスライクになり、じっくり相談できる雰囲気がなくなってしまい、徐々に足が遠のきました。その後数年間は、別の旅行会社で格安航空券を手配してもらっていました。
バンコク発券という「裏ワザ」
ところが困った問題が出てきました。年末年始やお盆といった繁忙期に、混雑して思うように航空券が取れないのです。無理もありません。日本人の出国者数は、私が初めてタイに行った1982年には年間400万人だったのが、バブル期の1990年には1000万人を突破し、2000年には1780万人と、今とさほど変わらない数(2018年が1900万人、2019年が2000万人)まで急速に増えていました。(数字は、日本国政府観光局による)
そのころ、その名も『格安航空券ガイド』(双葉社)という雑誌が発売され、世界各都市の代理店が販売する航空券の価格が載っていました。Windows95 のリリース(1995年)を契機に家庭にもPCが普及し、インターネットが新たな情報源になってきたこともあって、航空券の「海外発券」という方法に出会いました。
海外発券とは、海外の旅行代理店等で現地発の航空券を現地通貨で購入することです。例えばタイを旅行する場合、通常は「名古屋―バンコク―名古屋」という往復チケットを買うのに対して、「バンコク―名古屋―バンコク」という往復チケットを、バンコクで発券・購入するのです。(航空券は出発地で発券するというルールになっています。)何らかの方法でバンコクに行ってしまえば、その後は名古屋への帰国便と、次回のバンコク行きは確保されます。その間に次の「バンコク―名古屋―バンコク」のチケットを用意すれば、あとは無限ループです。バンコクから日本へ出稼ぎに来て、次の休みにバンコクに帰郷するといったイメージでしょうか。
バンコク発券はメリットたっぷり
バンコク発券のメリットをあげれば、
(1) 価格が安い…もともと手ごろな価格設定なのに加えて、1バーツ=3円を切るような円高が進みました。
(2) 予約が取れやすく変更もしやすい…日本発の格安航空券は、安い代わりに日程変更ができないなど制約が多いです。しかも年末年始やお盆といった繁忙期になると、予約が取りにくい上に非常に高くなります。これに対してバンコク発券ならば、1年前から予約を入れ、入金と発券は後日でよいという、正規運賃の航空券のルールが適用されるので、大体の日程で早めに予約しておくことができます。予定を変更したいときも無料ですし、満席でもしばらくキャンセル待ちをかければ、たいてい希望の便に乗れました。おまけに価格にシーズナリティがほとんどないため、繁忙期ならば価格のお得感が増します。
実は、価格だけ見れば、閑散期に日本を出発する格安航空券の方が安いのです。時間に融通が利くなら格安航空券で十分でしょう。しかし繁忙期にしか旅行できない私にとっては、この(2)のメリットは非常に大きなものでした。
(3) バンコクを拠点に、近隣諸国へ行きやすい…日本からは遠くて行きにくい場所も、バンコクなら気軽に行けました。バンコクからインドなんて、たった3~4時間です。
(4) なかば強制的にタイに行ける…航空券には、第1区間の搭乗日から何日という有効期限があって、長いほど(最長1年)価格が上がります。バンコク発券だと1年とか6か月有効のチケットが割安なのですが、それでも有効期限内にタイへ戻らなくてはなりません。タイに興味がなければデメリットでしょうが、私にはメリットになりました。(ちなみに日本発の格安航空券では、有効期間が数日から1か月程度しかありません)
一方、デメリットとして最初に浮かぶのが、外国でどうやって航空券を買うのかという疑問や不安ではないでしょうか。それは全く問題ありません。eメールでやり取りし、クレジットカードで代金を支払うだけです。しかもバンコクには実質的に日本人が経営する旅行代理店が何軒かあり、日本語で大丈夫です。
海外発券は、他にもソウル、台北、シンガポールなどを拠点にすることができ、かなりポピュラーになりました。私もこれで安心と大船に乗った気持ちでいたのですが…。
旅行会社の倒産。なんと2度も
最初にバンコク発券をお願いした日系のA旅行社は、BTSの駅構内という好立地にあって、メールのレスポンスも親切で、数年間お世話になりました。しかし2007年2月、資金繰りに行き詰まり事業継続ができなくなった、という悲痛なメールが突然送られてきました。慌てて航空会社のサイトで自分の予約を確かめると、なんと無効になっていました。すでに支払いを済ませたチケットの帰路、名古屋―バンコクの分がまだ残っていたのですが、債権者か誰かが払い戻して現金化してしまったようです。
こういう場合、旅行会社に返金を求めるのは日本でも困難です。日本にはそのために供託金制度があるのですが、タイにはそんな制度もなく、経営者が夜逃げしてしまった状態では返金を求めるすべもありません。数万円の被害金額のため、わざわざ外国の裁判所に訴えても得るものはないでしょう。結局、数万円は泣き寝入りしたうえ、バンコク発券の無限ループを続けるため、自腹を切ってバンコクまでの航空券を手配しました。
これを教訓とし、今度はバンコクでも老舗にあたる日系のB旅行社に発券をお願いすることにしました。日本との往復はもちろん、バンコクから近隣の国々への航空券を何度も手配してもらい、トラブルもなく安心していました。何かおかしいなと思ったのが、2015年の年明けです。いつものように航空券を購入し、航空会社のサイトで予約を確認したのですが、予約が取れていないのです。急いでメールを送ると、システムでリンク切れがあってすぐ対処したという返事がきました。たしかに今度は予約が入っていました。ところが同じようなミス(?)が、同じ年の7月にもう一度ありました。今思うと、資金繰りが苦しくて、航空会社か卸元への支払いが遅れていたのではないでしょうか。
そして2015年8月、ついに業務継続不能とのメールが送られてきました。利用者が多かったのでしょう、ネットでもちょっとした騒ぎになっていました。すぐさま航空会社のサイトを見ると、今度は予約が維持されていました。念のため航空会社には、第三者からの払い戻しには応じないようにメールを送っておきました。結局航空券は有効に使え、被害はなく助かりました。
航空券はネット販売の時代へ
デジタル化の進展、ネットやスマホの目覚ましい普及によって、ここ数年、航空券もネット販売が中心になってきました。航空会社も代理店経由で手数料を払って販売するより、自社のサイトで売る方が利益が上がります。そうなると、世界のどの都市から出発する航空券も、自宅に居ながらにしてあっという間に買えてしまうわけで、海外発券という概念自体消滅しつつあります。その結果、航空券販売をメインとする旅行社は立ちいかなくなり、かつてバンコクに多数あった旅行社は、次々と消えていきました。B旅行社もその1つだったわけです。
一世を風靡した「格安航空券」も耳にしなくなりました。格安航空券とネットで検索すると引っかかる旅行代理店もありますが、昔のようなグレーな航空券を売っているわけではなく、(そもそも航空券の価格はいっつか自由化されています。)膨大なデータから安いものを探し出してくるサイトですので、そういう意味では便利です。ただし安いものだと、例えばバンコクへ行くのに、中国国内で何回も乗り換えたり、24時間以上もかかったりします。1円でも安くというなら別ですが、使い勝手がいい航空券は航空会社のサイトでもほとんど同じ価格で売られていますし、手数料がない分だけお得になることもあるようです。(日本語に対応していない航空会社もあるので、その点は役立つかもしれません。)
安く飛行機に乗るならば、いわゆるLCC(low cost carrier,格安航空会社)という手もありますが、私のように繁忙期しか行けない者にとっては、あまり魅力を感じません。これについてはまた別の機会で考察します。
私は現在、まだバンコク発券(つまりバンコク発名古屋往復)でチケットを入手していますが、旅行会社は通さず、航空会社のサイトから直接購入しています。バンコク発券の様々なメリットはおおよそ享受できていますが、キャンセル待ちは不可能で、予約即入金という制限は付いてしまいます。いずれにしろ、航空券の入手には苦難の連続でした。あと数年、定年して時間があけばこんな苦労は要らなくなります。うれしいのですが、少し寂しくもあります。旅行というのは、ああでもない、こうでもないと苦心しながら計画するのが実は楽しいのです。
今日のことわざ
ผักชีโรยหน้า
[phàk chii rooi nâa/ パック チー ローイ ナー]
日本語訳:振りかけたパクチー
ผักชี [phàk chii/パック チー] はご存じですね。英語名:coriander(コリアンダー)、漢語名:香菜(シァンツァイ)。タイ料理に頻繁に使われるハーブで、独特の強い香りが食欲をそそります。料理の仕上げにパクチーを振りかければ体面が整うことから、「中身がないのに体裁だけ取り繕う」という批判をこめた意味になります。